EXHIBITION

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  • 「Documents -名古屋前衛芸術の記録-」
  • 2020.04.04 Sat - 2020.05.02 Sat

STANDING PINE 休廊のお知らせ

新型コロナウイルスで影響を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間ギャラリーを休廊いたします。
開催中の「Documents -名古屋前衛芸術の記録-」は期間を延長して再開したい意向です。
今後のスケジュールにつきましてはホームページやSNS等でお知らせいたします。

皆様には、ご不便をおかけしますことをお詫び申し上げます。
アーティストに関するお問い合わせは随時受け付けておりますので、どうぞご遠慮なくご連絡くださいませ。
ご理解を賜りますようお願い申し上げるとともに、皆様のご無事を心より祈念しております。


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STANDING PINEでは、4月4日(土)から5月2日(土)まで資料展「Documents -名古屋前衛芸術の記録-」を開催いたします。日本の戦後における前衛の作品は今日まで残されていないケースが少なくなく、また戦後前衛芸術の記録の多くは失われているとも言われています。本展では、60年代に岩田信市らに結成され、後に加藤好弘らが合流し定期的に名古屋や東京の街頭各所で集団パフォーマンスを実践した「ゼロ次元」を始め、赤瀬川原平、荒川修作、岸本清子が参加した「ネオ・ダダ」、赤瀬川が参加した「ハイレッド・センター」、水上旬が参加したグループ「THE PLAY」、ポップハプニングなどで知られる秋山祐徳太子などの「反芸術パフォーマンス」を中心に戦後前衛芸術に関連する作家やグループの活動を紐解く上で重要な記録写真や当時発行された雑誌や機関紙などの貴重な資料を紹介します。

第一部:ゼロ次元と反芸術パフォーマンス

「ゼロ次元」は名古屋で結成されたグループであり、1963年から本格的なパフォーマンスを始め、72年頃まで活動しました。岩田信市や加藤好弘ら中心メンバーは美術を学び画家として出発したにもかかわらず、当時美術評論家からの評価は期待せず、人通りの多い街頭や劇場などで過激なパフォーマンスを実行し、時には週刊誌などでスキャンダラスな記事として取り上げられていました。しかし、彼らの実践してきたパフォーマンスの政治的・社会的な意義を読み解く視点などから、近年美術関係者からの関心が高まっています。写真家の羽永光利が撮影したゼロ次元の代表的なパフォーマンス『全裸防毒面歩行儀式』(1967年)の記録写真を始め、ゼロ次元、松澤宥が参加し水谷勇夫も関わった『人間と大地のまつり』(1971年)、中武久が企画し賛同者には末永蒼生、岩田信市、糸井貫二、参加者には水谷勇夫や辻村和子がいたと言われる愛知県瀬戸市で行われたイベント『かまぐれ祭』(1972年)、ゼロ次元の活動にも多く参加した秋山祐徳太子のポスターなど、当時「儀式」と呼ばれたパフォーマンスやゼロ次元と関わりの深い作家や展覧会、イベントの記録を紹介します。

第二部:水上旬 THE PLAYとニルヴァーナ

詩人や音楽家でもあった水上旬は、中学高校時代を名古屋で過ごし、京都大学で法学を学んでいた大学時代を含め、62、63年頃から、京都及び名古屋で「ハプニング」と呼ばれる様々なパフォーマンスを本格的に始めました。1967年には池水慶一とともに関西各地のパフォーマーを中心としたグループ「THE PLAY」を結成、1970年には松澤宥とともに国際的なコンセプチュアルアート展『ニルヴァーナ 最終美術のために』を企画します。この展覧会には河原温や瀧口修造を始め、海外の作家勢も多数参加しました。多様な芸術表現で知られる水上は、ゼロ次元や「九州派」、新潟の前衛集団「GUN」など、当時多くの芸術家と親交があったと言われています。1969年にゼロ次元を中心とする「万博粉砕共闘派」が京都大学に侵入し全裸のパフォーマンスを行った際には、水上が屋上から張られたロープから落下し伝説にもなっています。その万博粉砕共闘派を特集する記事が掲載された雑誌や、プレイのハプニング『SHEEP 羊飼い』(1971年)の詳細が記されたポスター、ニルヴァーナの機関紙やニルヴァーナに関連する作家や展覧会などを紹介します。

第三部:名古屋ゆかりの作家と戦後前衛芸術

当時、美術・音楽・演劇・舞踏などに関わる多くの作家たちは人脈的に繋がっており、互いに影響を与え合い、協働していたと言われています。第三部では、50年代から80年代に活躍した名古屋にゆかりのある作家を中心に、戦後前衛芸術において重要なイベントや展覧会の記録を幅広く紹介します。旭丘高等学校美術科を卒業した赤瀬川原平、荒川修作、岸本清子が参加していた(ゼロ次元の岩田信市も同校出身)「ネオ・ダダ」第2~3回展の記録写真(1960年)や、後に多くの作家に影響を与えたジョン・ケージとデイヴィッド・テュードアのイベントにオノ・ヨーコが参加した際の記録写真(1962年)、赤瀬川が参加した「ハイレッド・センター」の代表的な芸術行為『特報!通信衛星は何者に使われているか!』のチラシ(1964年)、ネオ・ダダの吉村益信が発足させ、名古屋支部は岩田信市と水上旬が担当していた組織「アーティストユニオン」の機関紙(1975〜76年)などを展示します。

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戦後という激動の時代を生き、物として残る作品だけでなく、身体表現としてのパフォーマンスを通して、時には危険を顧みず表現し続けた芸術家たち。現在のようにインターネットもなく手軽な録画記録も少ない時代、限定された場所・時間の中で行われた彼らの活動の多くを知ることは容易ではありません。当時の彼らの様相を捉えた資料は、今や見ることのできない彼らの「行為」や「思想」を辿る手がかりとなります。アートの発信地としても知られ、地理的に関東・関西とも人的交流の深い名古屋という地に残された歴史の断片。これらの記録を通して、彼らのエネルギーが脈打つ時代を振り返り、名古屋に根付く前衛芸術の文脈を再考します。

謝辞 : 羽永太朗