EXHIBITION
- CURRENT EXHIBITION
Intolerance / 2025 / Old milk can / 1200mm×300mm
- 平川祐樹
- Intolerance
- 2026.09.19 Sat - 2026.10.17 Sat
STANDING PINEでは、2026年9月19日(土)より平川祐樹による個展「Intolerance」を開催いたします。
平川は、日常的な事物が持つ情報を読み解き、そこに現れる歴史や政治性を掘り下げた作品を制作しています。本展では、第二次世界大戦後、主にアメリカからもたらされた制度や価値観、暮らしのあり方が日本社会のなかで受容され、定着してきた過程を、自身の記憶や身体的な経験と結びつけながら、現在まで連続する問題として捉えます。
本展のタイトルにもなっている《Intolerance / 2025》は、二つの古い集乳缶を組み合わせ、不発弾に見立てた作品です。戦後、援助物資としてもたらされた脱脂粉乳や、パンとミルクを中心とした学校給食の普及は、それまでの食生活に大きな変化をもたらしました。平川は、こうした食の西洋化を、占領政策に加え、国家による栄養管理や身体への介入をめぐる生政治の観点から考察し、さらに自身が「食料植民地」とも呼ぶ問題へと視野を広げています。
制作の契機となったのは、2023年、名古屋市内の自宅近くで不発弾が発見された出来事でした。それをきっかけに、幼少期を過ごした渥美半島で目にしていた不発弾と、牛舎に置かれていた錆び付いたミルク缶の記憶が結びつき、《Intolerance / 2025》が生まれたのです。「Intolerance(不耐性/不寛容)」という言葉は、乳糖不耐性という体質を示唆すると同時に、食習慣の変容を通して、私たちが何を自明のものとして受け入れてきたのかを問いかけます。
《Souvenir / 2025》では、占領下の日本で撮影された和式便器のポストカードを拡大コピーし、横構図にすることで、そこに写る和式便器が男性用便器のような像へと転換しています。マルセル・デュシャンの《泉》を想起させる本作は、当時の日本の生活文化に向けられた外部からのまなざしを浮かび上がらせるとともに、社会の変容のなかで失われつつある生活様式やアイデンティティにも目を向けます。同時に、西洋を中心に形成されてきた現代美術の枠組みをアジアの文脈から読み替えようとする視点も示されており、そこには平川が「自虐的なダーク・ユーモア」と呼ぶ批評性が込められています。
《Intended Accidental Ingestion / 2026》では、フリーマーケットで入手した使用済みの9mm弾の弾頭を作家自身が体内に取り込み、69時間44分後に排出されたものを作品の一部として用いています。沖縄の米軍基地をめぐる状況や、戦後から現在まで続く米軍との切り離しがたい関係を前に、容易に答えを導き出すことのできない現実を、自ら「飲み込む」という身体的な行為を通して受け止めようとする試みです。胃酸によって黒く変色した弾頭は、逆さまに置かれた米軍放出品の家具、ガラスのコップ、「Made in Occupied Japan」と刻まれた錫製の灰皿とともに作品を構成します。
本展では、過去が現在と切り離されたものではなく、今なお私たちの暮らしに作用していることを異なる角度から示します。日々の生活に組み込まれた歴史と、その背後に潜む政治性を浮かび上がらせる平川祐樹の実践を、この機会にぜひご高覧ください。
会期 : 9月19日(土) – 10月17日(土)
開廊時間 : 12:00 – 18:00 (火–土) ※日月祝休廊
オープニングレセプション : 9月19日(土) 17:00 – 19:00
※9月19日(土) アーチスト在廊予定
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CV
平川祐樹
1983年、名古屋市生まれ。20代後半にドイツに渡り制作活動を行うが、2016年ベルリンでのテロ未遂事件に巻き込まれたことを契機に帰国。現在は岐阜県を拠点に制作を行う。近年は日用品に潜む政治性を扱った作品を多く発表している。主な発表に、ロッテルダム国際映画祭(オランダ)、オーバーハウゼン国際短編映画祭(ドイツ)での招待上映のほか、アートサイエンス・ミュージアム(シンガポール)、ティコティン美術館(イスラエル)、シェフィールド美術館(イギリス)、モスクワ市近代美術館(ロシア)、ヴャツキー美術館(ロシア)、国立台湾美術館(台湾)、シンガポール国立公文書館、ソールズベリー大聖堂(イギリス)、ダラム大聖堂(イギリス)、ポーラ美術館、岡崎市美術博物館、国立新美術館などがある。
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消化不良、あるいはさせないために | 岩田 智哉
消化すること。それは、体内に取り込んだものを分解・吸収し、自らの一部へと変える身体の働きである。しかし、すべての物質を消化できるわけではない。身体に馴染まないものは異物としてとどまり、痛みや不調をもたらした末に、再び体外へと排出される。消化不良とは、取り込んだ他者との距離をなくし、自らの一部とすることに失敗した状態である。
平川祐樹が本展「Intolerance」で向き合うのは、そのような自らにとっての他者と、それにまつわる記憶や歴史である。すでに体内へ取り込まれながら、いまだ落としどころを見出せない対象との距離を、平川は自身の身体や記憶を介して測り直そうと試みる。
空間の中心に鎮座するのは、本展のタイトルにもなっている《Intolerance》である。米軍による空襲で投下された爆弾の不発弾は、戦後80年以上を経た現在も国内で相次いで発見されている。長く地中に埋まっていたそれらはいまだに爆発の可能性を有しており、一つずつ不発弾処理が行われている。目に見えない地層に埋まりながら、土によって分解されることなく、いまなお私たちの暮らしの傍らにとどまる戦争の遺物。平川はその形を、幼少期の遊び場であった牛舎で目にしていた、錆びた集乳缶によって再構成する。
牛乳もまた、戦後日本の身体に取り込まれた異物であった。学校給食にはじまり、牛乳は幼少から大人まで全国で慣れ親しまれているが、東アジアには遺伝的に耐性を持つ人は少なく、しばしば文字通りの消化不良を引き起こす。しかし日本におけるその普及の背景には、GHQの政策、あるいはその背後にあるアメリカの輸出戦略と日本政府の思惑があるとされる。外部から導入された制度や価値観の身体への介入が、腹痛や不調として身体の内側から表出するのである。不発弾と集乳缶の重なりは、戦後アメリカの影響が過去のものではなく、食習慣や身体感覚のなかで現在も作用していることを示唆している。
《Souvenir》では、占領下の日本で撮影された和式便器のポストカードが拡大され、横向きの写真として展示される。「JAPANESE TOILET(BENJO)」と記された便器は、画面を90度回転させることで、西洋式の男性用便器のような像へと変わる。それは明らかに、マルセル・デュシャンの《泉》への言及だと読めるだろう。しかし、デュシャンが男性用便器の向きを変え、その用途と意味を逸脱させたのに対し、平川は和式便器を写した画像の向きを変えることで、それを再び男性用便器へと変換する。占領下の日本に向けられた異国趣味的な視線を反転させることで、西洋中心的な現代美術の規範を、その視線からまなざし返そうとしているようにも見える。
《Intended Accidental Ingestion》において、平川による歴史の消化という試みは文字通り失敗する。本作の中心にあるのは、米軍の基本装備であるベレッタM9で使用される9mm弾の使用済み弾頭である。平川は、日本人として当事者性がありながらも距離のある国内の米軍基地をめぐる問題を、自らの身体に引き寄せ咀嚼するために弾頭を飲み込む。しかしそれは彼の身体の一部となることなく、約3日後に胃酸による黒ずみを残して体外へと排泄された。その事実は、この問題が一個人によって容易に「消化」できるものではないことを物語る。
一方で、弾頭を飲み込む「日本人」という主語も一枚岩ではない。そこには、アメリカの占領と軍事的影響を受けながらも、その負担を沖縄に集中させてきた責任も含まれる。アメリカから受け取った消化不能な暴力を、日本は自らの内部で不均等に配分し、一部の地域に飲み込ませてきたのである。
陳光興は、被植民者が植民者との歴史的関係を問い直す「脱植民地化」と、かつての植民者が自らの加害を省察する「脱帝国化」を区別する。戦後日本において、アメリカとの従属的関係を問い直すことだけでなく、自らがアジアに対して行使した帝国主義を省察し、旧植民地との関係を組み直すことが必要であったが、GHQの統治によりその省察の契機が遮断されてしまった。*それゆえ日本は、アメリカを十分に消化できていないだけでなく、自らの帝国の歴史をも消化できないまま、現在に至っている、と言えるのではないか。
だからこそ、消化することではなく消化できないという事実、すなわち自らの一部に取り込むことができない、という状況にこそ目を向けるべきではないか。本展で平川は、複数の「消化不良」を取り扱う。しかしそれは単なる失敗ではなく、容易に同化も忘却もできない歴史がいまなお存在することを知らせ、私たちに咀嚼と省察の継続を迫る、身体からの応答なのではないだろうか。
* 陳光興『脱帝国──方法としてのアジア』丸川哲史訳(原著2010年;以文社、2011年)、26頁。
筆者プロフィール
岩田智哉|Tomoya Iwata
1995年愛知県生まれ、キュレーター。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修了。アジア各地のオルタナティヴ・スペースを訪れ、それぞれのローカルのアートシーンにおけるオルタナティヴとインスティテューションのダイナミズムについてのリサーチを行う。また自身もそのようなスペースを運営する実践者として、展覧会に限らない広義のキュラトリアル実践を通して、既存のシステムに対するオルタナティヴの可能性を模索する。2022年4月より、キュラトリアル・スペースThe 5th Floorのディレクターを務める。

Souvenir / 2025 / Reprint of an old postcard / 1800mm×1200mm
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